【サヴァ、2月に入って体調を崩すことが増える】
2月に入ってから、サヴァは急に体調を崩すことが増えました。去年の11月に病気が発覚して治療を始めてからはほぼ嘔吐が無かったのですが、嘔吐や下痢が増えました。
【2月の経緯】
2月に入ってからの経緯は以下の通りです。
2月1日 貧血治療2回目 ダルべポエチン投与 血液検査結果 BUN112、CRE5.1、
リンP15<
2月7日 貧血治療3回目 ダルべポエチン投与 先生の意向で血液検査せず
2月14日 貧血治療3回目 HCTが35%に回復したのでダルべポエチン投与せず。
血液検査の結果 BUN140<、CRE6.0、リンP15<
2月15日~3日間半日入院で静脈点滴。
2月18日 血液検査の結果 BUN135、CRE7.0、リンP15<
HCTは40%まで回復
ついに病気発覚時より数値が悪くなってしまいました。
だんだん数値が上がってきているのはこれまでの経緯で知っていましたが、ショックのあまり言葉が出ませんでした。
まだ静脈点滴をしたら数値が下がるかもしれない…と思い、藁にも縋る思いで半日入院をお願いしましたが、更に上昇する始末。先生も看護師さんもとても良くしてくださいましたが、サヴァには効果が出ませんでした。
【腎臓病から腎不全へ】
この結果を以て、今まで『腎臓病』と表現されていた先生が『腎不全の末期』という表現をされました。普段かなり言葉を選んでくださる優しい先生がハッキリとおっしゃったということは、もう紛れもなくそうなんだということです。
猫の腎不全というのはよく耳にしますが、不全というと完全に機能しなくなっている状態の事を指すので、治療に反応する時点では腎臓病とするのが正しいようです。かかりつけの先生も意識してそこを区別している節がありました。
そうか、もうお家帰ろう。サヴァちゃんの好きなお刺身も食べよう。
好きなもの食べよう。
結果への絶望と、この子がいなくなってしまうことへの恐怖と、我慢ばかりの闘病生活からこの子のQOLを優先した緩和ケアに入ることに対する、不思議なことにほんの少しの安心感とが入り混じった、これまで生きてきて感じたことの無い感情でした。
所謂終末期だけれど、サヴァはまだ頑張ってくれています。いつまで頑張れるか分かりません。
昨年11月の闘病の始めでは、病気とうまく付き合っていけばあと5~6年は生きてくれるかも。生きてほしい。
折角ノラから家の猫になったんだもの、せめて現在家猫の平均と言われている15歳までは生かしてやりたい。と思っていました。
若く、食欲もあり勝手に希望を持っていましたが、発覚した時点でかなり限界に近かったのでしょう。と書くと、なんだか締めくくりみたいで嫌だな。今も辛いでしょうに、よく頑張ってくれていると思います。
ブログに残しておこうと思ったのは、自戒の為と、サヴァが頑張っている証を記録しておきたいと思ったこと。
あと、沢山の腎臓病と闘う猫ちゃんのブログにお世話になっているので、このブログも誰かの役に立てたらいいなと思ったからです。
緩和ケアに入った腎臓病の猫と一緒に闘う飼い主の心情を、こと細かに記録することが、いつか同じような立場の誰かの励ましになれば良いなと。
病院から帰る車の中で、 それを言ったらいけないような気がして、悪化しはじめてから言わないようにしていたけれど、初めてサヴァに「頑張ってもいいし、頑張らなくてもいい。もしもう頑張れないなという時は教えてね。頑張れなくなったらお姉ちゃん(すみません、お姉ちゃんという歳でもないんですけど若い時からの名残で)の子供として生まれておいで。そしたらまた一緒に暮らせるよ。」と伝えました。
肝心のサヴァは、可愛い顔でまんまるの目をして外を走る車を見るのに夢中でした。聞いているのかいないのか…
でもね、サヴァはすごく生命力が強い子です。先生や私の予想を超えてもう少し一緒にいてくれると信じています。
必ず来てしまうその日まで、好きなもの食べて、お気に入りの場所で昼寝して、大好きな母に甘えて楽しく過ごそうね。
3日間の日帰り入院では、帰りはドライブして帰るのが恒例になりました。
サヴァも嬉しそう(?)